元護衛艦乗員の寄港地浪漫紀行③~福井県・敦賀港~

福井県敦賀市・敦賀港

福井県敦賀市は福井県の嶺南地方の中心都市で、北陸道から分岐し若狭方面から京都府舞鶴市などの丹後地方、山陰道(舞鶴若狭道・国道27号線)への分岐点であり、JR小浜線の起点、北陸本線、関西方面からの新快速が乗り入れ、敦賀港からは新日本海フェリー苫小牧行きが発着する、交通の要衝地になっています。

 

日本三大松原・気比の松原

 

観光・景勝地としては日本三大松原の気比の松原があり、気比神宮があります。

 

食べ物で有名なのは、福井市に本店のあるソースカツ丼の名店、ヨーロッパ軒の敦賀分店(敦賀ヨーロッパ本店)でしょう!!

ヨーロッパ軒の暖簾分け店第1号らしく、その後敦賀市内に4~5店舗展開しているようです。

 

また、夜になると市内を走る国道8号線上の沢山のラーメン屋さんの屋台が出並びます!!

 

人口規模は、舞鶴市よりも小さいはずですが、行くと結構活気のある街でした。

 

海自舞鶴総監部、敦賀総監部創設移転!?

海軍創設期に一度、海自創設期にまた一度そういう話があったと云う噂があります。

一度目の選定争いは、海軍創設期の鎮守府選定の際に、若狭湾の調査で、敦賀湾、小浜湾、舞鶴湾、宮津湾と候補地がありその中で一番、湾口が狭く潮の干満の差が少なく、波浪の大きい日でも湾内への影響が1番少なかったのが舞鶴でありその為に舞鶴に鎮守府が開庁され、惜しくも敦賀は選定されなかったと聞いています。

  1. 上記の敦賀湾の地図では湾口は北に大きく開いているため波浪の強い日はまともに波が港湾に入ってきます。
  2. 小浜湾の湾口は狭く閉じていまして悪くないように思えます。現在小浜湾は台風襲来時に海自の護衛艦の避泊地として利用されています。
  3. 宮津湾も若干北に湾口が開いているため波浪の影響があるのだと思います。また景勝地の天橋立もありますから、景観維持、汚染防止の観点から鎮守府に選ばれなくてよかったのではないでしょうか。宮津湾も仮泊地として使われます。

そして舞鶴は鎮守府の町として発展し、村から市へとなりました。

 

終戦後、海軍は解体されましたが、朝鮮戦争の影響などを受け警察予備隊が創設され、海自へと発展創設へと続きますが、終戦後から長い間京都府は左翼革新系の府政が続き、舞鶴市で一時革新系の市長となり、それが原因なのか海上自衛隊員に対する冷たい仕打ちや反対運動などもあったとかないとか、そんな中再び敦賀移転の話があり、明治期よりも港湾技術が進歩した時代、敦賀は大きな岸壁や補給関係施設なども用意できると海自側とかなりの話まで行ったみたいですが、そこでようやく、いくら革新系の府政や市政でも、海自がいることによる街への経済効果、人口、税収などが激変することに気づき、舞鶴市側が海自に対しての冷たい仕打ちを改めるから移転は止めて欲しいとなり白紙になった...と言いう話が、所長が入隊した当時の古手の海曹長たちからまことしやかに聞かされていました。

信じるか信じないかはあなた次第です!!

 

もし、海上自衛隊舞鶴総監部が全て敦賀に移転していたら、敦賀の交通の要衝的な位置からもっと人口も多く、今よりも発展していたのではないでしょうか。そして海自の舞鶴在籍隊員たちも、もっと幸せで、5個の総監部の中で一番の不人気地になることはなかったかもしれませんね。

 

敦賀港へは広報で入港しましたが、港の写真が残っていませんでした...気比の松原で撮った写真のみ発見できました。

 

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