海上自衛隊の艦艇部隊の所在地紹介その2・神奈川県横須賀市

艦隊司令部所在地・横須賀

神奈川県横須賀市は昔は海軍横須賀鎮守府が所在していましたが、現在は海上自衛隊横須賀基地が存在しています。しかし横須賀鎮守府跡地には現在、米海軍第7艦隊司令部、在日米海軍司令部が使用し、旧海軍工廠跡地のドックや岸壁は米海軍の艦艇部隊が使用しています。

ですので、他の地区とは違い、海上自衛隊の総監部、艦艇部隊用の岸壁、護衛艦隊司令部は新設され鎮守府跡地ではない所に立っています。土地としては海軍時代には何かしらの施設はあったようですが...。その辺はもっと詳しい人が居ると思うのでここでは書きません。

 

米軍は元々、日本占領のための物資や人員の荷揚げなどで占領後接収し利用する計画をしていたため横須賀の基地施設の爆撃を避けほぼ無傷でした。航空基地としては厚木を予定していたようです。

 

華の1群司令も横須賀

舞鶴の紹介の項で書きましたが、フリートナンバーについてる枕詞では横須賀は華の1群です。1軍ではありません。海自では艦隊編成を表す単位として群、隊、個艦となります。

横須賀は、京浜急行で東京まで約55分、横浜まで25分という抜群のアクセスです。

首都東京には防衛省もあり、横須賀にはSF、EF司令部、潜水艦隊司令部などそうそうたる主要部隊の司令部も存在しています。また米軍が在泊してることもあり、つい先日のトランプ大統領が横須賀基地を視察に来たように、各国海軍の首脳たちや政治家、本庁のスーツ組などもよく視察に来るため、横須賀には常に最新艦、各型のネームシップが配備され、その威容の形容詞で、華の1群と呼ばれるようになりました。

 

ただ、他在籍部隊の人間から言わせると何が華の一群なんだか…。横須賀在籍部隊が舞鶴に来たり、横須賀に入港した時に、甲板整備で上甲板にペンキ塗ってた時です。

舞鶴では船の上や岸壁にあるボラードやビット(係留索を掛けて留めるもの)に腰かけるのは厳禁なんですが、横須賀の艦乗りは普通に腰かけててビックリしたものです。

それも当時護衛艦隊旗艦であるたちかぜの乗員がやってたものですからみんなさらにビックリしたものです…。『何が華の一群だよ!船乗りとしての基本からなっとらんわ』、 護衛艦隊旗艦様の乗員は何してもいいのかよ‼️

なーんてね🎶

 

海上自衛隊の第2術科学校も横須賀

海自には4つの術科学校がありますが、そのうち艦艇部隊の機関系の第2術科学校が存在しています。その機関術科学校の中にのほかに異色ではありますが情報と英語の教育部も入っています。英語教育はもちろん米軍がそばにいるため英語が盛んで、身近だからです。また本場の英語を学ぶため、現役の米軍人さんやその奥さま方が毎日来て会話の授業をしてくれるようです。

 

女性隊員教育隊は横須賀のみ

横須賀には横須賀教育隊がありますが、全国の海自の教育隊で女子隊員入隊教育隊があるのは横須賀だけです。なので全国から集まります。

 

戦艦三笠詣で

横須賀には、日露戦争時代の戦艦三笠が、陸にコンクリで埋められる形ではありますが記念艦として保存されています。(米海軍の記念艦はちゃんと海に浮いています。もしかしたら現役復帰させる必要があるかもしれないことを想定しているため)

 

所長は舞鶴に在籍していたため、横須賀には年に1,2度来るくらいでした。最初の2年間は地方隊所属艦のため来訪はありませんでした。初めて艦隊所属艦に配属され、横須賀に来たときはテンション上がりましたね~!! でも...まさかのその初めて来たときに、あの、9.11のテロがありえらいことになりましたけど...。

 

戦艦三笠の話に戻りますが、戦艦三笠は実は今でも防衛省の財産のはずです。もちろんコンクリ埋めされてるので艦艇としての財産ではありませんが、今でも所有は防衛省の海上自衛隊です。でも記念館としての運営は自衛隊では行っていません。

 

しかし財産自体は自衛隊のものなので、横須賀以外の在籍艦艇部隊の乗員は、横須賀に来た時に戦艦三笠に行き整備を行います。開館前の朝7時位から上甲板や真鍮製の金物などを磨きます。だからたまに朝の早くに謎のジャージ軍団に遭遇することがあります。清掃部隊はジャージに着替えて、横須賀の入港岸壁から歩いて三笠に向かいます。そして開館前に2時間ほど整備した後は、昔は艦に戻らず、鞄に入れてきた私服に着替えてそのまま上陸許可になり、テンション上げ上げで横浜、東京を目指して遊びに行ったものでした!!

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