海上自衛隊に入隊しました、1998年・18歳春。~たまには昔の話でもしようか第1話~

—まえがき—

 

現在のある意味歪んだ(笑)小生を形づくったもの…それはやはり最初に就職した海上自衛隊です。 最初は何も思わず、それが当たり前だと過ごしていたが、徐々に違和感を覚え始め、21歳位の時には、貯金(資産)3000万位を作って、40代にはリタイアしようと考え始めていました。

 

当然、当時は資産運用なんてしようと思わず(母親がやってるのは知ってた)、ただ目の前の、ホントに目の前にある日々の暮らししかみていなかった。

 

ほぼ、閉ざされた塀の中で、小生がどう考え今に至るか、しばらくはこのテーマで小生の海上自衛隊記を綴っていこうと思います。

 

—海上自衛隊に入隊したきっかけ—

我が家の家族は、祖父(七人兄妹の3人目長男)祖母、父(三男で婿養子)、母(祖父の娘、4姉妹の三女)で、小生は3人兄弟の末っ子で、長兄は短大進学、就職後も実家暮らし、次兄は高卒後愛知県で就職。祖父が大正一桁生まれの長男至上主義者で、小さい頃から『次男三男は要らんものや、独立するか(婿)養子にいくもんや』が口癖でした。(次男以下は婿養子は戦国の世ならいざ知らず…現在なら孫にいうことではない…。)しかし次兄も小生も祖父の長男至上主義をさも当然のように受け入れていました。で次兄は早々に家を出ました、出るときには『お前も早く出ろよ』と言い残していきました。

 

1995年秋、中間より少し上の公立普通科進学校に入学し通っていた小生ですが、授業についていけずに挫折し、学校では担任教諭からは半ばあきらめられ、学年主任からは目が腐ってると言われ、家に帰れば家族の関係もぎすぎすしていたため、手っ取り早く独立出来て、お金も貯まる方法を考えていた時に、ちょうど自衛隊の案内が高校の進路指導室に来ていたので資料請求しました。すると自衛隊の地連地連の人(陸自隊員)が高校のサッカー部のコーチに来ていたため進路指導の教員から紹介されあれよあれよと願書を書き、試験を受け合格しました。担任教諭には言わずに受け事後報告しました。

 

家族は小生が勤め上げれるとは思っていなかったようで、母と祖母は反対で、祖父は賛成、父発言権無しでしたが、3年勤めれば満期金100万円の退職金が出るのを期待しとりあえずの3年、時は氷河期、3年後景気回復ならその金で大学進学か民間企業に再就職、だめなら継続任用と決め反対派家族を説得しかくして小生は海上自衛隊に入隊しました。

 

 —娑婆の生活とはおさらばです!!—

自衛隊は至れり尽せりで、出身地から入隊場所の舞鶴教育隊まで、自分の足では行かずに、地連の人が付き添いマイクロバスなどで送ってくれます。ま、ある意味着隊直前で気が変わり逃げないようにする意味もあるとは思いますが(笑)たまにいるそうです!直前で怖気づいて嫌がる人が。小生はワクワクしましたね!!家を出て一人暮らし(実際は4か月の共同生活ですが)、これから始まる新しい普通の生活とはかけ離れた世界の生活に!!

 

1998年春。高校を卒業し、舞鶴教育隊に入隊し、制服に身を包み、当時は何も考えず、何も大人の世界を知らず、給与システムも、保険も年金も知らずに、社会人生活をロケットスタートのごとく怒涛のスタートを切りました!!

 

その頃にまだまだ綺麗な体で無垢な思考でしたね!!

 

次回こうご期待!!!!   海上自衛隊専門用語・船乗り専門用語はこちらへどうぞ!!

 

 

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