楽して稼ぐっていうけど、ホントに楽して稼げるのか?

金を稼ぐためには

 資本論によると金を稼ぐためには労働者(プロレタリアート)には一つの方法しかありません。それは自分の時間(生命)を切り売りし労働力を提供し対価を得ることです。そしてそれに対して資本家は労働者から切り取った時間と労働力を使い労働者に払う対価の何十倍ものお金を稼ぎます

 

果たして誰かに雇われの鎖につながれ労働力を売り労働収入を得る、現場レベルでの小さな責任は発生するでしょうが、逃げようと思えば余裕で責任から逃れられ、最低限の収入は確保できる。多少の肉体的疲労はある。

 

かたや自分で起業の場合は色々動き回り肉体的精神的疲労は相当であるうえ、収入を手にし飯を食えるかどうかの全責任がありこれは大変だろう。失敗して一文無しになり今日食うのもままならなくなるかもしれません。

 

正直、このブログ、『楽して稼ぐためのファイナンス・副収入研究所』なんて命名しましたが、実際は労働収入のほうが遥かに楽して収入を得ることが出来ますただし金を稼ぐのは労働しかなないと思ってる労働者は労働が楽だなんて思ってはいないでしょう

 

金を稼ぐのに実は楽なんてできない

結局のところ完全に楽をして稼ぐことはできないということです。肉体的に楽なのか、精神的に楽なのかの違いくらいあるかもしれませんが。

年収数千万円から億を稼ぐサラリーマンから資本家は若いころから努力をし、現在も、日々社会の経済の流れに神経を研ぎ澄まし会社を運営する。もちろん投資に失敗すればすべてを失いストレス、恐怖もあります。

かたやプロレタリアートは何も考えず、ただ上からくる指示通りに作業を進め、労働し生産に励みます。もちろん働いている人は何も考えてないなんて言うと怒るでしょうけど、大局的なことは何も考えていません。ただ作業を何時間すればいくらになり、それで何を買おうかとかそんなことです。

 

副収入、もしくは副収入を本収入に変えようと奮闘してる方々もたぶん実感しておられることでしょう。

自分の責任でもって収入を得ようとすることは楽ではないが、雇用者の搾取の鎖を断ち切り、自由を得ることに喜びと無限の可能性があり、自分の人生を自分の足で歩いていることを実感できる。と言ったら大袈裟でしょうか。

『自由とは自由であることのように呪われていることである』

自由は範囲が大きければそれだけ責任も重くなる。なら不自由なら責任は軽くなる。はてさて、皆様はどちらを選びますか、て、ここら辺のブログを書いてて、寄ってきていただいてる方々にはもう答えは出ていると思いまけれどもね。

 

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